ゾウの、はな子とユリ子とアコ
私が、ゾウを最初に見たのは、記憶が確かであれば、保育園(5歳)の時だったのではないでしょうか?
吉祥寺の焼き鳥屋を経営していた父親、その仕込みを手伝う母親。
母親に連れられて、井の頭自然文化園に行ったときです。
その頃、ゾウは3頭いました。
はな子
1949年9月18日来園。2016年5月26日死亡。タイ出身。
戦後初めて日本に来たゾウで、日本で最も長寿のゾウでした。
来園当時は人気者でしたが、晩年は孤独な生活を送っていたことが議論を呼びました。
2016年に亡くなった後も、その存在は多くの人に語り継がれています。
ユリ子
1960年10月10日来園。1984年1月13日死亡。インド出身。
はな子より少し遅れて井の頭自然文化園にやってきました。
詳細な情報はあまり残っていませんが、はな子とともに多くの人に愛されたゾウでした。
アコ
1961年6月27日来園。2000年1月21日死亡。インド出身。
ユリ子と同じくインドからやってきたゾウです。
はな子、ユリ子とともに井の頭自然文化園で長い間人々に親しまれていました。
はな子の像が、吉祥寺駅北口ロータリーにあります。
3頭の中でも、はな子に注目が集まるのは、戦後の変化を見つめてきた、はな子のその生涯にあるようです。
〇 戦後のゾウBoom
はな子は、1947年の春頃にタイの王室とゆかりの深い農園で生まれたそうです。戦後、日本中でゾウを見たいとの声が高まっていたことを背景に、1949年にタイから日本へ贈られ、当初は上野動物園で飼育されていたんですね。
〇 井の頭自然文化園の人気者
「移動動物園」を通じて地元の人気者になったはな子。武蔵野市民と三鷹市民の熱烈な要望で、1954年に井の頭自然文化園に引っ越ししました。その後62年間、園の人気者として愛され続けました。
〇 手のかかる愛らしいはな子
過去には、不幸な事故で人を踏み殺してしまったり、堀に落ちてしまったりしたことなど、手のかかるはな子でした。波瀾万丈であるがゆえに、愛らしいはな子は、飼育員さんと市民に愛され続け、最期まで精一杯生き続けました。はな子は日本では最も長生きしたゾウとなり、2016年に69年の生涯を閉じました。
ぜひ吉祥寺へお越しください。
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